大分地方裁判所 昭和40年(わ)561号 判決 1969年11月11日
主文
被告人両名はいずれも無罪。
理由
第一本件公訴事実は
「被告人平川昭次は、全日本自由労働組合大分県支部日田分会(以下単に自労と略称する。)執行委員長。同近藤正信は同分会書記長であるが、昭和四〇年八月三一日午後四時二〇分頃から日田市田島町八三番地日田市失業対策事務所(以下単に失対事務所と略称する。)会議室において、同市長代理同市助役佐藤史郎、失対事務所長佐藤吾作等と失業対策事業運営管理規程の実施について折衝中、同分会員数一〇名が同会議室に入つて喧騒を極め、且つ市側で予め通告していた時刻も経過したことから同日午後五時一〇分過頃、同助役が折衝打ち切りを宣したが退場せず、午後五時三〇分過頃から再三にわたり同助役および前記失対事務所長から庁舎管理に支障があるので早急に庁舎外に退去するよう要求されたにもかかわらず、同日午後七時五五分頃まで同会議室から庁舎外に退去しなかつたものである。」というものである。
第二取調べの各証拠のうち、後記第三以下の事実認定に供した証拠の標目。<略>
第三被告人両名の具体的行為。
昭和二四年五月二〇日成立の法律八九号緊急失業対策法に基いて日田市が事業主体として行つている失業対策事業(以下単に失対事業と略称する。)に従事する就労者の就労につき日田市失業対策事業就業規則が昭和二五年四月一日制定施行せられたが、昭和二八年一〇月二六日から前記日田市失業対策事業就業規則は廃止せられ、日田市失業対策事業就労者就業規則なるものが制定施行となり、それに基き労使間に事業運営がおこなわれてきたが、昭和三八年七月八日法律一二一号の職業安定法および緊急失業対策法の一部を改正する法律二条による改正により失業者就労事業の事業主体は事業の適正な運営を図るため緊急失業対策法施行規則八条にいう事項を内容とした運営管理規程を制定実施せねばならなくなり、同法は労働大臣、さらに都道府県知事による事業主体に対する指導調整の権限を付与し(法一六条の三、失業対策事業監察官規程)、これがため日田市は施行規則八条の一定の内容を有する日田市における失対事業の運営管理に関する規程(以下単に運管規程と略称する)の制定を図り、日田市失対事業に就労者によつて組織せられている全日本自由労働組合大分県支部日田分会。全国民主自由労働組合日田支部文化労働組合。日田公共労働組合の各意見を聴いたのち、昭和三八年九月三〇日制定し、即日同年一〇月一日施行の告示をおこなつたが、三労組とも運管規程の制定には全面反対の態度をとつた。事業主体である日田市も運管規程を制定はしたものの組合の全面反対の態度と、従前の日田市と就労者を主体とする前記三労組間の覚書、諒解事項などの集団的合意によつて自覚的に定立せられてきたいわゆる労働条働条件に関する職場規範との関係、さらに運管規程の内容の全面実施が現実の職場環境、就労者の高年令の事情から則しないばかりか日田市を除く県下の他の事業主体である県市等においても制定せられはしたものの各運管規程の実施を逡巡していた等々の情勢判断からその実施を見合わせ、従前どおりの日田市就業規則、およびいわゆる職場規範としての慣行によつて労働条件等が規律せられてきていたが、昭和四〇年三、四月頃から県その他の行政指導により先きに制定の運管規程の全面実施が要望せられると共に、日田市が事業主体である失対事業に対し近く関係機関によるところの監査が風評となつて日田市理事者の耳に入る状況となり、ここに日田市は九月一日から失対労務者の長期就労配置、労働時間の確立、労働時間利用の範囲の明確化、作業規律の確立を中心としたところの運管規程の全面実施が決定せられることになつた。そこで八月二四日佐藤失対事務所長等は、三労組の代表を失対事務所会議室に集め、九月一日から運管規程の全面実施をなす旨の通告をすると同時に、労働時間利用の範囲については、川開きの半日、組合定期大会年一回、臨時大会年二回を認めるほか、厚生要務については組合との交渉に応ずる用意のあること、右交渉は勤務時間内に限り、交渉委員等の人員も限定せられた少人数で行うことを一方的に言明し、右には自労代表として笠原副委員長、三苫書記次長が出席した。
その後、公共労組は八月二五日、三〇日の二回。文化労組は八月二八日、三〇日の二回にわたつてそれぞれ市側と個別に運管規程の実施についての団体交渉を持ち、その際市側は先きに二四日の際に、三労組代表に説明した労働時間の利用範囲についての運管規程の一部改修とも言え、かつ就労者においては全く重要な内容をもつ運管規程二三条の運用に関する詳細な印刷物をそれぞれ提示、交付のうえ(昭和四一年押一五〇号の四(就業規則綴))、これを前提に市側の運管規程の実施が全面実施を表面に出していながらも、その実際の取扱いを異なるものであることを説示し、さらに二労組交渉委員との団体交渉結果によつて組合側の要求に基き緩和取扱い事項を附加し、文化、公共労組との間に九月一日からの運管規程全面実施についての該規程の一部改正を含む妥結が得られ、これ等の妥結事項はその後印刷物にせられ文化、公共労組に配布せられた。
ところで、自労においては八月二六日から三〇日までの五日間下関市において年一回の全国大会が催され、開催地に近い自労としては、その開催一ヶ月前頃から組合員多数の出席を計画する等していたことの事情から他の二労組のような早急に市側と運管規程実施についての団体交渉をおこなうということが事実上不可能な状況にあり、そのために市側への団体交渉の申し入れが著しく遅延していたため、市側としても就労者の過半数におよぶ組合員数を擁する自労との団体交渉を持つことを切望し、これがため佐藤失対事務所長自らが失対事務所に訪れた笠原副委員長に対し先きの二四日市側が説明した点もあることから市側と自労との団体交渉をおこなうことへの誘いをかける等し、市側も九月一日以前の時点において自労との間に運管規程の実施につき団体交渉をおこない得べく考え、他方、自労においてもその実施は重大な事柄であることから八月三〇日に至つて、三苫書記次長を通じ、電話でもつて堀失対事務所次長に対し運管規程実施を対象事項とした団体交渉の申し入れをおこなつた。右申し入れに対し市側は従来おこなわれてきた団体交渉の態様と全く異る交渉時間の午後三時から午後四時半まで、自労側交渉委員数を一七名にするという制限を一方的に宣言してきたが、自労は右市の態度を了としないばかりか組合員に対し団体交渉の傍聴を呼びかけると同時に、対象事項の重要性から夏季年末手当の団体交渉の場合これ迄深夜に及ぶ交渉が行われてきた経験からそのために或る時はたき出しを行つてきた等のこともあり、団体交渉傍聴の一般組合員に対し夕、夜の二食分の食事の携行を指示し、これ等の一般組合員は団体当日の午後五時前後から団体交渉の場所である失対事務所会議室へ傍聴のため参集し、会議室内、廊下、階下広場等を併せてその数約三〇〇名位に達した。
ところで市側、自労側の交渉委員による団体交渉には市の交渉委員として佐藤助役、佐藤失対事務所長、堀、武内両失対事務所次長等一二名、自労の交渉委員として被告人平川委員長、笠原副委員長、被告人近藤書記長諫山組織部長等が出席したところ、市側に従前の団体交渉に全く見受けられない記録係員の出席があり、かつ双方の着席位置が従前のものより変更せられていたこと、加えて、自労がテープレコーダーの使用を持ち出したこと等の双方の予期せね交渉開始前の事柄から双方の意見の対立する場面が生じたが、結局テープレコーダーの使用禁止等の話合いが成立し、開始予定時刻を約一時間半経過した午後四時五〇分頃に至つて双方の交渉委員がそれぞれの位置に着席した。交渉開始と同時に佐藤助役は自労側に対し運管規程実施の必要性の説明として、日田市が県、国等から強い行政指導を受けていること、近く失対事業に対し国からの監査が行われ、運管規程の全面実施がない限り補助金を没収される危惧の大きいこと等を上げたところ、自労交渉委員から運管規程の内容が従前の日田市就業規則に比較し苛酷な内容を持つものである等からその実施には全面反対である等の意見が述べられ、過去における補助金の没収、日田市が県および他市町に先きがけ如何なる理由をもつて就労者の高年令を考えることなく苛酷な内容をもつ運管規程の全面実施に踏み切らざるを得ないのかを質問する等したのに対し、市側は具体的にそれに対する説明を行う等の誠意を示さないばかりか、交渉開始後約一〇分位経過後には自労交渉委員の質問に応ずる態度を示さなかつた。そこで傍聴の組合員から佐藤助役等に対し罵声が飛ぶところとなり、市側は一般組合員の退場を要求したが自労側はこれに応じなかつた。
佐藤助役は双方交渉委員がそれぞれの席に着き交渉開始せられた午後四時五〇分頃から二〇分位を経過した午後五時一〇分頃、自労交渉委員に対し約束の交渉委員に対し約束の交渉時間である午後四時半を相当時間経過していることを理由に交渉の打ち切りを一方的に宣言し、会議室から退室しようと席を立つた。被告人等自労交渉委員は交渉の再開を求め傍聴の一般組合員と共に市交渉委員等の前に立ち塞がりその退室を阻止し市交渉委員席に着席させ、運管規程の全面実施の不当を主張し、交渉を再開して実質討議をおこなうことを主張し続けてやまなかつたが、佐藤助役は約束の四時半という時間の経過を理由に交渉の再開に応じることを頑として拒否するのみであつた。その間市側は先きに公共、文化労組間に取り交された運管規程二三条に定める労働時間利用の範囲の点についての市側の規程の一部改正の印刷物を自労交渉委員に交付することもせず、かつ、また二三条の労働時間利用の範囲の点につき市側において改正案を持つこと(その実体は運用に関する取扱い要綱に基ずく改修)の説明すら行わず、ただ自労側が全面反対の態度であることを表明するのに対し市側も九月一日から運管規程の全面実施をなす旨の一方的意見の開陳をなすのみで、その態度は全面実施を譲らないという強いものであつた。
そこで自労交渉委員は一般組合員と共に交渉を再開して実質討議をするように執ように主張し続けたところ、午後五時三〇分頃、佐藤助役が被告人等自労交渉委員並びに一般組合員に対し「庁舎管理上支障があるので退去を命ずる。」旨を口頭でもつて告げ、さらに同旨の内容を佐藤失対事務所長が佐藤助役に代つて口頭をもつて三、四回繰り返して告げたが、被告人等はいずれも佐藤助役に交渉の再開を主張し続けてこれに応ずる様子を見せず、却つて佐藤助役にいろいろと運管規程の内容についての質問を続けていたことから佐藤助役も交渉打切りを宣しているとしておりながら、自労交渉委員との間に二、三の問答のやりとりをおこなつたこともあつたが、佐藤助役は既に交渉は打切られていることを理由に交渉の再開に対しては拒絶の態度を崩さなかつた。このような膠着状態が続くことから佐藤助役は午後六時三四分、再び被告人両名を含む自労側組合員等に対し庁舎管理を理由に庁舎内からの即時退去を命ずる旨を口頭をもつて告げ、失対事務所次長武内伊勢男に命じ赤罫紙の用紙裏面に万年筆で「庁舎管理に支障があるので全員庁舎外に退去して下さい。一八時三四分。市長代理助役」と書かせ(昭和四一年押一五〇号の1)、これを佐藤失対事務所長に渡し、同所長が同文書を読み上げた後これを市交渉委員席の後部の壁にあつた釘にかけて掲示をしたが、なおも被告人等自労組合員等は交渉の再開を主張し続けそれに応じなかつた。かくするうち午後七時二〇分頃、全日自労大分県支部執行委員長明次郎が同会議室に大分市から馳せ着き、佐藤助役の自労交渉委員席に着席のうえ同助役に交渉の再開を申し入れたが、同助役は交渉の打切を宣しているので、あらためて話合いたい旨を答え、その後両者間に問答のやり取りがおこなわれていた午後七時四八分頃、廊下にいた一般組合員等からの警官隊が来た。という声と同時に、日田。別府。大分。玖珠。中津の各警察署の警察官が同会議室等に立ち入り、被告人平川は検挙班に属する日田警察署司法巡査竹下武士により、被告人近藤は検挙班に属する日田署司法警察員警部補阿南須恵信により不退去罪の現行犯人として逮捕せられたほか組織部長諫山昌信も不退去罪で逮捕せられた。
第四団体交渉開始前後における日田市側の態度。
交渉前日の八月三〇午後一時頃、佐藤助役は日田警察署に署長福田信清を訪ね日田市が九月一日から運管規程の全面実施をおこなうにつき自労が強い反対の態度を示しているが、同組合と右実施につきこれ迄いく度か交渉をおこなつてきたけれども明日三一日午後三時半からの団体交渉について、自労は組合員に対し夕、夜食の持参を呼びかけていること等から警官隊の出動要請を考慮しているという事情等を告げ、その協力を求めた。これに対し日田警察署長は同日午後四時頃大分県警察本部に対し約七〇各の警察官の応援を求めると同時に同日夕方には署員小埜三千好巡査に対し不法事犯の発生が予想せられることの理由から三一日の団体交渉の視察を命じ、団交当日の三一日午前一〇時頃には桑原大分県警察本部警備部長、および斉藤警備課長が日田警察署に到着したので、午前一一時頃に日田警察署長は同署へ佐藤助役、佐藤失対事務所長を呼び、桑原警備部長等の同席のうえで交渉にのぞむ市側の態度等の事情を聴取した。その席上で市は運管規程の全面実施につき自労側とはこれ迄にも相当回数にわたつて交渉を重ねてきたこと。本日(三一日)午後三時半からの運管規程実施をめぐる自労との団体交渉が最終のものとなること。市は自労の反対を押し切つて全面実施に踏み切るという強い方針であることが説明せられると同時に、自労の先鋒者への対策が協議せられた(この点については後記日田警察署高橋警備課長の出動前の言動により明かに推認せられるところである。)。そして日田警察署には同署員八〇数名が待機すると同時に、午後二時頃には大分、別府、中津、玖珠各警察署からの応援警察官約七〇名が同署に到着し、これら一五〇余名の警察官に対しては団交のおこなわれている失対事務所への出動のための部隊編成がおこなわれ、他方前記の小埜巡査は団体交渉開始前の午後三時半から団体交渉の予定場所である失対事務所会議室の隣室にあたる水道課に情報収集のため待機したが同巡査以外にも数名の警察官が団体交渉の情報収集の命を受け団体交渉のおこなわれている会議室その他における団体交渉の状況、経過等を監視し、その得た情報を日田警察署に通知する特命を受けていた。さらに日田警察署高橋警備課長は私服、制服の出動待機の警察官約一五〇名に対し午後三時頃情報伝達をおこなうと共に組合員に対する逮捕等についての心構えを指示し、その中で平川委員長、近藤書記長、諫山組織部長の三名が組合の先鋒であること等を特に名指して組合指導者の検挙を指示した。
他方、佐藤助役は佐藤失対事務所長の要請で午前一〇時頃助役室に大蔵管財統計課長、武内、堀両失対事務所次長を集め、自労との団体交渉開始時間を午後三時、終了時間を午後四時半とし、予定時間の経過と共に団体交渉の打切りを宣言する。会議室における双方の交渉経過は大蔵管財統計課長に連絡する。退去命令を出す。退去命令を出した後の一般組合員等の排除に対しては警察に協力要請を行う。という説明をなすと共に武内失対事務所次長に「庁舎管理に支障があるので全員市役所の外に退去して下さい。」という文言で、かつ七時一五分という時刻を記入した日田市長岩尾精一の退去命令書(検八号写真)(昭和四一年押一五〇号の2)を作成させ、武内失対事務所次長は同事務所職員坂本勇に対し団交打切り後の事態の混乱状況を写真撮影することを命じる等して自労幹部の不法行為への証拠収集を講じる等の体勢を整えた。
このようにして市側は自労側において全く予測もできなよういな体制を整えたうえで佐藤助役等市交渉委員は団体交渉に臨んだ。
ところで大蔵管財統計課長は当初の打合せによる交渉経過等の連絡が予定の四時半を経過するも失対事務所から何んらの音沙汰もなく、管財統計課とは七〇メートル位離れた別棟にある失対事務所の方からは時たま組合員による拍手、喚声が聞える位であつた状況から大蔵管財統計課長は敢えて失対事務所への電話連絡をとる迄の緊迫を感ぜずにいたところ、午後六時三〇分過ぎに至つて失対事務所の井上職員が管財統計課に退去命令が出された旨の口頭報告をしに来たことからこれを石松総合企画室長(以下石松室長と略称する)に告げ、同人が市長と電話連絡をとつたうえ、午後六時三五分過ぎに至り庁内各室に備付のマイクを通じて市長から退去命令が出された旨を放送伝達したが、失対事務所から何らの連絡もないので、石松室長は再び市長に対し電話連絡を取つた結果、七時一〇分過ぎに至り助役と失対事務所長に対し交渉打切りの連絡をとるよう指示を受け、同人は再びマイクを通じ佐藤助役、佐藤失対事務所長に対し市長命令として自労との団体交渉を打切ることを放送伝達すると共に、七時一五分、七時三〇分頃の二回にわたつてマイクを通じ一回に数度続けて市長の退去命令を放送伝達し、午後七時四〇分過ぎ石松室長は市長からの警察官の出動要請の命令に従い係職員に電話連絡で日田警察署に出動要請をおこなわせ、自らは前記マイクを通じ警察官の出動要請をしたことと、全員の庁舎外への退去を求める旨マイクを通じて放送伝達をおこなつた。ところで団交の行われていた失対事務所会議室には(当時)右の各放送を受信するところのスピーカーの取付けがなく、石松室長のおこなつた前叙のマイクを通じての再三にわたる退去命令並びに警察官の出動要請等の伝達は会議室に在室する労使交渉委員、組合員には伝達することができない状況にあつた。
第五、以上の認定事実からすると
被告人両名の判示の各行為は、いずれも日田市長の代理佐藤助役の出した退去要求には違背するものと認められ、刑法所定の不退去の構成要件に該当するものであるから、これは形式的には違法性の存在を推認せしめるものである。ところで行為の違法性は法秩序に反することであるから単に刑罰法規だけでなく公法、私法の全体系または成文法ばかりでなく慣習法などの非成文法を含めてその全体が違法性の判断にあたつて、総合的に問題とされなければならず、刑法において構成要件に該当する行為が違法であるとする場合は、これを実質的に理解すべきであり、その有無は行為の動機、目的行為により保護しようとする法益の程度、性質、行為による法益侵害の程度、性質等を比較考量し、社会共同生活の秩序と社会正義の理念の上に立つてその行為が質的に刑法上の制裁を適当とするものであるか否かを検討して判断すべきであり、行為が許されるべき場合にあつては違法性の存在の推認を破り犯罪の成立を阻却するものである。
そこで以上の見地から本件について問題となる諸点を考察する。
一1 失対労働者は、資本主義社会における失業が労働者個人の意思、能力とは全く関係なくいわば構造的に生ずる社会現象であることから、失業労働者に対して何んらかの形式での生活保障、あるいは雇用保障をおこなうことは資本主義国家の義務であり、このことは日本国憲法において生存権、労働権として明確に保障しているところから雇用保障の方法として緊急失業対策法(以下失対法と略称する)が制定せられ、この失対法により国または地方公共団体等の行う失対事業に就労することとなり、これらの失対労働者は国家公務員法二条三項一八号、地方公務員法三条三項六号にいう特別職に該当し、労働基準法、労働組合法の適用は排除されないが一般公務員とは異なり労働基本権に対する制約は存在せず、労働者の基本的な権利である団結権、団交権、団体行動権の保障があり労働組合法も適用されている。
ところで失対事業に雇傭される労働者は労働組合法三条にいわゆる賃金、給料その他これに準ずる収入により生活する者に該当することは明白ではあるが、かかる労働者と事業主(体)との関係は形式的には各人一日限りの雇傭契約にすぎず、その日以外は何ら使用者対被用者という関係にないように見えることから失対労働者の組合団体交渉権を否定する者もあるが、失対労働者の団体である組合、失対労働者、事業主体の関係を有機的に構成されている失対事業という場においてその雇傭を中心にして実質を考察するとき、当該失対事業が継続する限りその事業主(体)との間は使用者対被用者の関係が継続するものであり、さらに失対労働者は明かに憲法二八条の「勤労者」にいうところの生産手段を持たず、したがつて労働力以外に売るべき物を持たないその結果、労働力の対価たる賃金がその生活をささえ、そのことがその者の社会生活を規制しているという状態にある者に該当するものであるから現実の継続的な労働契約の存在は勤労者の存在形態のもつとも一般的なメルクマールに相違ないけれどもそれをもつて唯一、不可欠のものとすることはできない。現に本件の日田市においては運管規程に労務者の代表と団体交渉をもつことを前提とする規定(二三条五号)があるばかりでなく、ここ数年来市と自労間には定期的に団体交渉がおこなわれ、さらに日田市失対事業につき一般的指導監督権を持つ大分県においてさえも事業主(体)として労働者の代表と団体交渉をおこなつてきているのである。ただ失対労働者は公共職業安定所から失業者として紹介を受け国または地方公共団体の行う失対事業に、原則として日々雇い入れの形式で雇用される者であること、およびそこでの賃金の額が労働大臣の決定事項であること(緊急失業対策法一〇条)などによる理由によつて当該団体交渉の目的たる事項につき管理処分の権限を超える事項についてまでも団体交渉権を有するかについては問題のあるところであるが、当裁判所は権限を超える事項についても監督、指導機関に対し連絡するなどして一応誠意を尽して交渉に当り、組合の意向も充分尊重してその意向を具申する等して善処方を依頼することが可能である限り、これは事業主体の労働者にとつて必要であり、その意味と程度において少くともかかる権限を超える事項についても少くとも組合の団体交渉の申入れに応ずべき義務があつて、決定権を有しないことは団体交渉を受付けることを拒絶する理由とならないと解する。労働組合は労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善、その他労働者の地位向上をはかることを主たる目的とする団体である以上、その組織労働者の一部、例えば日田市を事業主(体)として就労する失対労働者に特有な問題について当該事業主体と右の事項につき団体交渉を持つことに何等の制限はなくその権利を有する。ただ労働大臣は事業主体に対し失対事業の実施に関し必要な指導または調整の権限を有し(緊急失業対策法一六条の三)、さらにその権限を実効あらしめるため特定の場合には事業主体に対し失対事業の全部または一部の停止若しくは国庫補助金の返還を命ずる権限すらある(同法一九条)けれども、そのおよぼしうる権限の範囲が明確ではなく、労使間で前叙のような団体交渉等により合意を経た事項についても労働大臣は前叙のような権限に基づきそれに介入し事実上変更せしめる余地が残されている。
2 つぎに本件団体交渉の対象についてみると、昭和三八年九月三〇日告示の日田市における失業対策事業の運営管理に関する規程の全面実施に関する件は、事業主体である日田市が自ら管理および運営しうる事項であるし、これを失対事業に従事する就労者としては労働者としてその労働条件の維持改善を図り、その他労働者の地位向上に資する事項であることからすれば、労使間の団体交渉において解決することのできる労働条件に関するものとして全て団体交渉の対象となることができる。
3 つぎに労使慣行の法規範的作用についてみるに、慣行は労働法の領域では「慣習」に対して緩やかな意味で用いられ、慣行が生れれば紛争が解消して行くものと期待し、その助成が語られるのである。すべての法規がそれを明記してはいないが、公共企業体等労働関係法一条一項は「この法律は公共企業体及び国の経営する企業の職員の労働条件に関する苦情又は紛争の友好的且つ平和的調整を図るように団体交渉の慣行と手続とを確立することによつて、公共企業体及び国の経営する企業の正常な運営を最大限に確保し、もつて公共の福祉を増進し擁護することを目的とする。」と規定し、法による規制というよりも団交の慣行のつみあげによつて秩序づけられ、法律的問題の起らないことを期待せられており、したがつて労使間の労働協約、覚書等と異なる労使慣行についても使用者はそれらの労使慣行を一方的に無視することはできない。労使慣行は協約を改修し、あるいは補充する暗黙の合意を意味する重要な規範である。したがつて市側のいう運管規程の全面実施ということに至れば失対事業に就労する労働者である自労組合員等の有した労働時間、職場離脱等についての労使慣行が市側によつて一方的に打破されるところとなり失対労働者が不利益を受けることになること。運管規程の実施がそれ自体、失対事業に就労する労働者の労働条件に関する問題なので何れにしても自労は事業主(体)たる市側に各事実の確認と善処方を求めるについて相当な事項(事柄)ということができる。
4 加えて前掲各証拠によると市側、文化労組間には八月二八日、三〇日、公共労組間には八月二五日、三〇日の各二日間にわたつて九月一日からの運管規程の実施を対象事項とした団体交渉をそれぞれ持ち、労働時間の利用の範囲についてと題する印刷物を配布し、運管規程二三条の労働時間の一部改正(その実体は取扱要綱に基く運用による改修)を提示したうえ、両組合とは異議なく右印刷物記載の各項目毎の検討に応じ、組合側の要求にしたがいその附加改正をするという妥結までに至るという寛容な団体交渉態度に出て両組合との団体交渉を終えている。以上の各点を併せ検討すると前記昭和四〇年八月三〇日なされた本件団体交渉の申入れは適法なものと解すべきである。
二、右申入れに対する市側の団体交渉に備えての行動並びに交渉前後の行動は前記認定のとおりであつて、三一日の団体交渉の場所に当る会議室での自労側への交渉態度は誠意のある態度が認められないばかりか、一切の団体交渉に応ずる態度を示さず、ただ交渉開始当初において、九月一日から運管規程の全面実施に踏み切るに至つた市側の経過を一方的意見の開陳として述べたのみのものであり、これを目して団体交渉に応じたものとは到底理解し得ないところである。そもそも事業主(体)たる市側は、いかに運管規程の全面実施に対し自労が従前から強い反対の態度を示していたとしても、自労の団体交渉権を最大限に尊重すべきで、団体交渉を忌避したり、その他団体交渉権を無視するが如き行動をなすべきでないことは、労働組合法七条二号の趣旨に徴しても明白であり、団体交渉こそは正常な労使関係の基本をなすものであるから市側は誠意をもつて交渉を行うように努めなければならない。仮りに自労側に交渉委員数以上の組合員を動員するという違反行為があり、約束の交渉時間経過等の理由があつたとしても、それに対応する必要最小限度において対抗的手段を構ずることこそ必要なことであり、相手方の違反行為等に対する対抗的行為のすべてのものが直ちに許されるものではない。対抗的手段が如何なる場合に如何なる程度、態様において許されるかはその時、所、における具体的状況に応じなければならず、その方法、態様において社会通念上妥当とされる最少限度のものでなければならないのに、本件団体交渉は従前に見受けられなかつた交渉委員の人数、交渉時間の制限が市側の一方的態度によつておこなわれ、これ迄多数の一般組合員等が動員され、組合指導者の統制下に傍聴がなされるという団交の態様における慣行をも無視した市側の態度は、これまでの団体交渉の慣行から大きくはずれ、緊張と険悪な空気をただよわせたことは、前掲証拠からこれを認めることができる。
もつとも団体交渉は、労働者の団体が労働者の団結による社会的経済的威力を背景に、労働の自由と労働者の生存を自主的に確保するため交渉するものである。そしてその背景となる団結力とは争議による裏づけを持ちながら自己の主張ないし要求の正当性の確保に基き、その正当性を使用者に感得せしめ、その主張を貫こうとする規範的な社会的威力であつて、これは憲法の保障するところである。労働者がその主張を貫き、またはその要求を拒否する使用者に対し非難を加えるため団結の威力を示すことは許された行為であり、市側に誠意ある態度が示されず、しかも団体交渉の対象事項が一日おいた九月一日から実施せられる運管規程の問題であることから自労は市側との団体交渉権を保全するうえに緊急な状勢におかれており、そのため前掲証拠により認められるような組合員等による市交渉委員の団体交渉からの離脱に対する監視、それに伴う一定範囲の行動の制約は許された団結の威力の範囲の行為であるが、この団結的威力は威嚇の力ではないから一般的に社会通念上何人も首肯しうるような平和的、かつ秩序ある方法で行われなければならないことはいうまでもない。団結的威力がそれに当然付随する心理的威圧の程度に止まるうちはよいが相手方の人格的自由を否認し、その生命、身体に危虞を感ぜしめるようになつたときは不当な勢威として到底是認できないものである。
この観点から市側のとつた本件団体交渉開始後の僅か二〇数分における時間的経過を理由とした交渉の一方的打切り宣言に対する自労交渉委員、組合員による交渉再開の要求が、執拗であり市交渉委員への罵声があつたこととその他一切の事情を考慮するも、なおいまだ不当な勢威とは到底解しえないものであつて、ただ市交渉委員に対して心理的な威圧感を覚えしめたに止まるものと解するのが相当である。
しかも、全自労大分県支部執行委員長明次郎が平和的方法による団体交渉の再開を提案したにもかかわらず「交渉の打切り宣言」を理由にこれをも拒否していることが認められる。
仮りに佐藤助役、佐藤失対事務所長等市交渉委員が右のごとく心理的威圧感が強く、ために到底団体交渉に応じられないと考えたならば、実施を明日に控えた運管規程の問題という緊急を要する件からするならば、他の方策を考えるなりして何等かの方法でもつて、文化、公共二労組に対し示した労働時間の利用に関する印刷物を提示する等して前記交渉態度に配慮すべきであつたと考えられるが、文化、公共二労組との間に示した寛容な交渉態度、市側の運管規程二三条に関する前記労働時間の利用に関する印刷物を市交渉委員の誰れとして用意すること等もなく自労との団体交渉に臨んでいたものであつて、まさに市側の交渉態度に疑問の多いことが考えさせられる。
以上の点から市交渉委員の行動は団体交渉に応ずる義務を尽さなかつたものと認めるのが相当である。
三したがつて被告人平川、同近藤が属する労組の団体交渉の申入れは市側の拒否するところとなり、市側は労働者の団体交渉権を侵害したこと、即ち「労働者の法益を侵害」したことにより紛糾した事態に対し市側は前叙のような意図をもつて、その有する庁舎管理権に基き被告人平川、同近藤等に退去を命じたもので、これは団体交渉の場所である失対事務所会議室に対し本来庁舎内における平穏と秩序の維持の要請から認められた権限の公正妥当な行使ということは到底できない。そしてこのような労働者の団体交渉権を侵害する不公正違法な退去命令によつて被告人平川、同近藤が退出義務を負うものと考えることは到底できない。
仮りに本件の被告人平川、同近藤の各不退去によつて庁舎内における平穏と秩序に対する法益の侵害のあつたことを認めることができるとしても、その侵害の程度は極めて軽微なものであり市側が被告人平川、同近藤が属する自労の団体交渉の申入れを拒否することによつて、労働者の団体交渉権を侵害したこと、さらに被告人両名の社会的危険性は微弱であることが前掲証拠によりそれぞれ認めることができこれらの各点を比較考慮したとき、被告人平川、同近藤の各外形的所為を社会共同生活の秩序と社会正義の理念の上にたつて法律的に処罰すべきか否かを考えれば、右各行為は反社会性が極めて軽微で、違法性を欠くに等しく遂に違法性を阻却する結果となり、犯罪を構成しないものと解すべきである。
以上いずれの理由によつても結局本件においては不退去罪は成立しないというべきである。
よつて被告人平川、同近藤に対しそれぞれ刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡しをすることとし主文のとおり判決する。(重村和男)